学校では教えてくれない社会常識

哲学的思考について

皆さんは人生について考えたことはありますか? 気づいたら産まれていて、よくわからないうちに学校に行かされて就職をし、社会に溶け込んでいくということを最初から望んでいたというわけではないと思います。

教育を受け、現代の社会システムの中で、そうした道に半強制的に進まされていたのではないでしょうか。

世界を旅する人生もあった。自給自足の人生もあった。

しかしながら現代の教育によってそうした人生を歩もうとしないように誘導されてしまったのです。

このように人生について考えると何のために生きている、何のための人生なのかとよくわからないまま、ただ生きていたということに気づくと思います。

また、このような世界や人間についての知恵・原理を探究する学問を哲学と言い、ここでは人生について考えてみましょう。

人生の目的

人生の目的と聞かれても、返答に困るのではないでしょうか。

ただ産まれたから人生を送っていた。特に目的はなかったと思う人もいると思います。

しかし、人生には明確に目的があります。

それは幸福になることです。

何をするにしても幸福の方向に向かっているのではないでしょうか。

しかしこの幸福の中身は人それぞれです。

例えば、お金持ちで顔が不細工な人と貧乏で顔がイケメンな人からアプローチがあった場合、どちらと結婚するのが幸福かというと、意見は割れるかと思います。

幸福になるにはお金が重要という人と幸福になるには愛情が重要という人に分かれます。

他にも長期的な幸福を目指す人や短期的な幸福を目指す人、犯罪もまた自分の欲求を満たすための幸福と捉えられ、様々な幸福の形があると思います。

このように幸福の感じ方は人それぞれですが、実は幸福については昔から哲学者の中で議論されてきたことなのです。

難しいかもしれませんが、見ていきましょう。

哲学者が考える幸福について

ストア派(ゼノン)

理性に従い欲望を制御してどんなことがあっても動じない状態が幸福であるとした。(禁欲主義)

エピクロス派(エピクロス)

静かな心の平安、あらゆる苦痛と混乱を免れた精神の安定した状態(精神の快楽)が幸福であるとした。(快楽主義)

功利主義(ベンサム)

個人にとっての幸福は快が得られ苦痛が欠如した状態で、社会にとっての幸福は最大多数の最大幸福であるとした。

最大多数の最大幸福には問題点があり、例えば臓器移植をしないと助からない患者が3人いたとしましょう。それぞれ、心臓、肝臓、肺が悪い。 もし最大多数の最大幸福を元に行動するなら健康な1人の臓器を3人に移植するのが正解だ。1人を犠牲に3人助かるが一部の犠牲を無視するという問題がある。

キリスト教

本来の幸福は個々の人間の努力によってどうにかできるようなものではなく、神からの恵み(恩寵)によってのみ真の至福は可能になるとした。

このように幸福については様々な考え方がありますが、皆さんはどういった考えでしょうか。

この機会に考えてみるのもいいかもしれません。


さて、人生について考えるだけでこれだけのことがわかりましたが、哲学的思考をすることで他にも様々なことがわかります。

例えば、手癖が悪いという言葉は間違えだと指摘できます。

手は脳からの指令によって、動いています。ということは、手の癖が悪いのではなく、脳の癖が悪いのではないでしょうか。

女癖が悪いというのも、女性関係を持つ判断を脳がしてしまう、すなわち脳の癖が悪いのです。

このように哲学を知ることで考え方や視点が変わるのです。